2015年12月14日
二度目の無宗教葬~みんなの思いをのせて~
こんにちは。前回のブログから随分時間が経ってしまいましたが、9月から始まりましたマイナンバーの講演も12月4日を最後に落ち着きまして、通常業務と年末に向けた準備に追われております。
さて、私事ですが、12月3日に隣に住む母が急逝しまして、非常にあわただしい1週間を過ごしました。
68歳。
女性の平均寿命から考えると、まだまだ若いと思います。毎日スポーツジムに通っていた母、直前まで普通に夕飯後の片づけをしていた母が突然倒れて他界したことが、未だに信じられずにいます。
父が7年半前に亡くなった時から、母と私たちは、母についての様々な情報を共有してきました。勿論、母が他界した際のおくりかたについても。
母が望んだのは、父と同じ無宗教葬でした。規模は本当に小さく、だけれどお花はいっぱいに。私と弟は、この思いに従って、この度も無宗教葬を執り行いました。
私たち親子が考える無宗教葬とは、一つの宗派によらず、弔問に来ていただいた方それぞれの信条に従って送っていただくという形です。ということで、お坊さんにお経をあげていただくことも、お焼香もありませんから、母が望んだたくさんのお花を準備していただくこと以外は、なにもかもが手作りです。
他界してから葬儀までのの中2日は、弟と共にその進行を考えることとその準備に時間を費やしました。
1.会場の方の中から母との思い出を話してもらう。
2.母の若いころの写真、親戚との写真、家族との写真を映像にして流す
3.母の好きだったキャンディーズの「春一番」を全員で合唱
4.一人1輪ずつ、母の棺にカーネーションを手向けてもらう。
親族には、前日に上記の進行を伝え、ご理解をいただきました。
進行を決めてからは、弟と私の息子と共に家にある写真をすべてひっくり返し、2に使用する母の写真50枚をセレクトしていきました。
「お母さんにも、私たちのお母さんになる前の人生があったんだね」
当たり前のことですが、そんなことを話しながら写真をみていき・・・今振り返ってもそれは、亡くなった母の事だけを考えることができた、とてもいい時間だったと思います。
葬儀当日、母との思い出話は、孫である私の息子からスタート。
「ばあちゃんは、みたらし団子を買ってくると僕にくれるのですが、3本あるうちの1本を僕にくれたら、あとの2本は自分で食べてました。本当に甘いものが好きなんだなとおもいました。」
こんな感じでしたので、そのあとの方はきっと話しやすくなったのだと思います。想像していた以上にたくさんの方が手を挙げて、思い出話をしてくれました。春一番の合唱も、皆さん大きな声で歌っていただいて。
きっと、母にも届いたことと思います。
悲しく、でも明るい式でした。
エンディングノートのセミナーで講師をさせていただく際に、今は色々なおくりかたがあると、お話ししています。
母が望んだことに、私たち子供と孫が考えた見送りかたを併せた葬儀。色々なご意見はあることと思いますが、母らしくまた私たちらしく送ることができたのではないかと考えています。